だから、写真で生きていく――辺境の地 移住者のまなざし

中西敏貴 著

 

定価2640円(本体2400円+税10%)

ISBN978-4-87262-712-1

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プロローグ

 

第Ⅰ部 ライフヒストリー 

 

1 写真との出会いから、公務員を辞めるまでの軌跡 

最初のカメラ体験

本当は音楽をやりたかった

華やかに見えた写真部はスパルタだった

プロ志向の写真部の現実は厳しかった

作品を撮るために北海道に行く

二人の巨頭

前田真三とライブラリーの時代

ライブラリーに依存しなかった高橋真澄

孤高の写真家

写真家・飯塚達央との出会い

公務員になってみたものの

大阪のアマチュアカメラマンがどうすればプロになれるのか?

少しずつ感じる手応え

苦い経験が続く

「尖った」写真を撮ることは封印していた

デジタルに移行しろ

全ての始まりは、キヤノンギャラリー銀座

妻からの言葉 家族との別れ

独立しても仕事のあてはない 僕は無策だった

日下部社長との出会い

キヤノンギャラリー銀座でのこと

 

2 北海道での写真家生活 

めまぐるしく過ぎてゆく日々、とにかくがむしゃらだった

チームORDINARY

カメラメーカーの仕事

ライブラリー的な考え方

全てが作品につながる不思議なポジティブさ

作品で勝負できるようになってきた

種蒔きと、助けてくれる人たち

僕を助けてくれるのは、努力する才能だけ

北海道のど真ん中に住む理由

美瑛のスケール感

未知を「当たり前」に変える移住者という存在

コミュニティに、僕はお邪魔している存在

捨て去ることと、写真を中心においたシンプルな生活

キヤノンギャラリーSと「Kamuy」というプロジェクト

Kamuyは答えを求める人には、理解できないかもしれない

北海道の既成のイメージから原始の風景へ

今の仕事とこれから

次回作とダミーブック

ただ撮り続けるだけでは、メインディッシュのオンパレード

わからないことと、写真表現の振れ幅を楽しむ

撮る行為が本当に写真表現か? 写真表現の概念が崩れる時代

動画にはない写真のもつ可能性

写真は鍛錬 量が質に転化する

螺旋階段を上っていくようなもの

師匠とは別のレールを歩く

高橋真澄、前田真三が通らなかった未開拓の地を目指して

無意味とも思える行動の先にしか未来はない

北海道の根源とアイヌ民族

アイヌ民族の源流を探る

ワタリガラスを通してつながる各地の伝説

原始の北海道の姿を見てみたい

 

第Ⅱ部 移住者のまなざし

はじめに 思考の変遷

 

1 新しいビジュアル・イメージを描くために

被写体に依存しなくていい

被写体や場所に踊らされないために

無意識の領域でシャッターを切る

雑味と狂気が溢れる写真

コミュニケーションのきっかけに

あなたにはどう見えますか?

花鳥風月と客観的な光の描写

EVFファインダーが映し出す新しい表現世界と、現場の臨場感

美とは思考である  

ピクチャレスクと崇高の二項対立を超えて

写真と音は、感覚のどこかで通底している

コンセプトは全て言葉にできるわけじゃない

 

2 抽象化と造形、自然の中のデザイン

正解を与えないから、写真は面白く変換していける

相反する振り幅

意図的に構図を崩す

セオリーから解放する

安定した構図に対する、わずかなずれ

写真の持つ「偶然性」「意外性」

記憶の中のイメージを追わない

色彩と造形 同居する異なる二つのベクトル

繰り返しの美と、究極の造形を自然の中に見る

あえて中間調を排除して見えてくるもの

抽象と意味

写真集の面白さとは?

写真を組み合わせるために、抽象化する

 

3 平面と等価、自然の気配、日本の美意識

平面と立体 作品形態に見る時代の転換

写真集『カムイ』に見る琳派の影響

「Kamuy」は伝統的な風景写真の対極にある

レンズの効果で空間認識を惑わせる

色がもつ意味と奥行き感

僕が考える客観視とは

洛中洛外図に見る「等価」

カメラの特性から離れてみる

ただならぬものたちの気配、声なきものたちの魂を、日本人写真家は写す

部分によって全体を 不在によって存在を

技術から思考へ 一つの表現手段にこだわることが困難な時代

新しい美や、ものの見方を発見すること

 

4 生涯をかけて、ゆっくり美瑛人になる

 

あとがき